Twitterってそういうことだったのか(5)

2009/12/02

■ブログタイトルがすなわちTwitter

ひねって考えればシステムによって使える文字の長さに差はあるだろうが、ブログのタイトルがすなわちTwitter(ツイッター)の発信になる。ブログには日記っぽいものも何かのレビューだったり記事だったりいろいろあるだろうが、それらを凝縮したタイトルの発信そのものが「つぶやき」とできること。

すなわち、ブログをTwitterのエディタとして活用できる。

Twitterと両刀使い分ける自信がなくても、どちらか適当に続けていればいい。
偏りそうでいやなら、ブログの中にTwitterの自分のアカウントからRSSを取り込んでブログに表示してやればいい。

ブログをしている人には大なり小なり、自分の頭の中を記録したい、発信したいという欲求があるのではないかとおもう。ブログを書くにはそれなりに腰を落ち着けてキーボードの前に向かう必要があるだろう。Twitterは工夫をすればメールからの投稿やiPhoneなどもっていればもっと気軽に発信することができる。

気がついたことをとりあえずTwitterにあげておいて、あとでブログにまとめてもいい。
途切れず漏らさずにOUTPUTを増やすことができるツールとして使えるのじゃないか。

■いつでもつかえるには使い勝手が重要

使う側としてはフォローしている人やされている人のメッセージを見やすく表示できて、発信も気軽にできること、すなわち使い勝手が利用を続ける決め手になる。

Twitter(ツイッター)のホームページはいかにも素っ気ない。
これだけシンプルだと拍子抜けするが、充実した機能というのをホームページよりも派生した別の場所で増殖しているというのがTwitterの特徴ではないか。

つまりはTwitterを使えるソフトウェアだ。その多くは表示の方法に工夫したり独自機能を盛り込んだものも多い。ウェブ上のサービスもあれば、前の記事で紹介したiPhoneのEchoというソフトのようにmixiのマイミクボイスと発信受信を統合したものもある。

Twitterはサーバーでユーザーの管理と発信内容を記録するデータベースの役割を果たし、それをどう加工し表示させるかというユーザビリティーの部分をソフト制作者に開放している。

これが積極的に行われたものなのかどうかはわからないけれど。

ユーザーは自分が使いやすいソフトを探してきてインストールすればいい。
「気に入ったら寄付してね」というドネーションがされているものもあったりして、そこがネット本来の相互扶助的でうれしい気持ちになる。
Twitterの衝撃