50時間分の録画とサヨナラした

2009/06/29

「人は自分が見たい物しか見えない。知りたいことしか耳に入らない。」
もうひとつ、「時間はお金では買えない」

仕事から帰って最初に実行したこと。それは50時間分の録画を消去することだった。

数年前にHDDビデオを購入してから、時々気になったものを番組表から追加する他は毎週決まった番組を録画して、休日にはそれらをまとめて見ている。

ビデオには倍速再生という便利な機能がついていて、音声がそれほど違和感がなく変調されてしかも再生時間が半分ですむというのがある。それでもほぼ決まったお気に入りのいくつかの放送を朝から昼すぎまで5時間くらいかけてチェックするというのが休日の日課のようになっていた。

今日は出勤していたのだけれど、仕事中にふとおもった。
毎週録画している番組を見られなくなっても、それほど対して困ったりしないな・・・と。

2011年の地上波アナログ放送終了まで2年を切った。
NHKへの受信料支払いには不満を持っている僕は、これを機会にテレビを受信できなくなるので、契約を終了させていただきます、とお断りをしたいのだけれど、結局のところ家人はそれを許さないだろうな。何となく当然という雰囲気でテレビを買い換えたり受信機を購入したりするのだろうなと思う。

ビデオの中にはいつかみるかも、いつか暇なときにととりためた番組録画がちょうど50時間あった。

消してしまおうか。

ささやかな抵抗を試みた。

もともと日中にテレビを家でつけていたことはほとんど無い。
それはいつか見るべき録画があったせいかもしれない。
情報は多すぎるとおなかいっぱいになってそれ以上は受け付けないという頭の回路が働いている気がする。少しは減らしてやれば、日々のちょっとしたことにももう少し繊細に受け止められるようになるかもしれない。

出版に携わる人が何かで書いていたのをみたことがある。
「FAXが普及するまでは、編集者は作家の元まで原稿を取りに行っていた。FAXの登場は多くの編集者のかなりの時間を節約した。原理的にいえばそれだけの余裕がうまれた、はずであるのに、実際にはそれまでよりも時間に追われることになった。」

とにかく、とりためたビデオは消してしまうことにした。
きれいさっぱり。

中身を確かめたりしなかった。消し去ってしまうと案外なんということはなかった。取り戻したいとも思わなかったし、かえって隙間ができたハードディスクの容量の表示が誇らしい。

僕は50時間を取り戻した。
忘れずにいくつも設定された録画予約も解除した。
5時間×52週×残りの人生の数十年。